1927年(昭和2年)
神戸 幸一(かんべ こういち)が、9歳の時、初代代表者 齋藤作蔵の弟子となる
1929年(昭和4年)
塗装業と同時にハイヤー業を始める
1931年(昭和6年)
齋藤作蔵の長男 正(ただし)(当時26歳)と、きよ(当時24歳)結婚
1935年(昭和10年)
齋藤作蔵 亡くなる(享年58歳)
同年5月
齋藤 正(当時28歳)
二代目代表者に就任
1941年(昭和16年)7月
齋藤正 応召により満州で兵役、以後南方方面に転戦
同年8月
二代目代表者 齋藤 正(当時34歳)と、きよとの間に長男 勝洋 誕生
(後に三代目社長となる)
1945年(昭和20年)8月
正、タイ・チェンマイにて英軍の捕虜となる
1947年(昭和21年)
正、復員
1953年(昭和28年)2月
資本金200万円で「横須賀塗工株式会社」に改組 齋藤 正 代表取締役社長に就任
1958年(昭和33年)1月
当時の新年会の様子
1964年(昭和39年)4月
職人の人材不足により、東北、北海道まで良い人材の確保に奔走する
1970年(昭和45年)4月
齋藤勝洋 横須賀塗工株式会社に入社
1971年(昭和46年)12月
資本金を400万円に増資
1972年(昭和47年)
齋藤勝洋 専務取締役に就任
1973年(昭和48年)1月
当社初となる営業職での社員を採用
1976年(昭和51年)9月
資本金を800万円に増資
1977年(昭和52年)4月
東京支店を葛飾区青砥に開設
同年9月
資本金を1200万円に増資
1978年(昭和53年)
二代目代表取締役社長 齋藤 正
勲五等瑞宝章受章
同年11月
齋藤 勝洋(当時37歳)三代目代表取締役社長に就任
1979年(昭和54年)4月
二代目代表取締役社長 齋藤 正 亡くなる
(享年72歳)
同年9月
資本金を2400万円に増資
同年12月
商号を「株式会社横装」に変更
1980年1月(昭和55年)
本社を現在地横須賀市森崎に移転
同年4月
後に4代目社長となる嶋田 力入社
同年7月
東京支店を大田区蒲田に移転
1981年(昭和56年)9月
資本金を4080万円に増資
1982年(昭和57年)4月
当社初となる、職人以外での定期新卒を採用
1984年(昭和59年)
会計・給与関係等IBMオフコンを導入し、OA化がスタート |
1930年(昭和5年)4月
湘南電鉄梶i現・京浜急行電鉄)が黄金町〜浦賀間運転開始
1931年(昭和6年)9月
満州事変勃発
1933年(昭和8年)2月
衣笠村が横須賀市に合併
同年4月
田浦町が横須賀市に合併
1937年(昭和12年)4月
久里浜村が横須賀市に合併
1941年(昭和16年)12月
太平洋戦争開戦
1943年(昭和18年)4月
浦賀町、逗子町、大楠町、長井町、北下浦村
武山村が横須賀に合併
1945年(昭和20年)8月 終戦
同年9月 連合国軍が横須賀に上陸
1950年(昭和25年)6月
旧軍港市転換法に関する住民投票が行われる
同年7月 横須賀市から逗子市が分離独立
1951年(昭和26年)1月
横須賀港が重要港湾に指定される
1952年(昭和27年)8月
保安庁警備隊(後の海上自衛隊)横須賀地方隊が編成される
1954年(昭和29年)
景気下降
横須賀に進出した建設会社が次々と倒産
1977年(昭和52年)5月
横須賀市の人口40万人を突破
1984年(昭和59年)4月
横浜横須賀道路開通
同年10月
安浦地区(現在の平成町)埋立て事業がスタート。 |